Radio

2008.08.22
ジャパニーズゴールデンポップス
NHK FM
パーソナリティ山本シュウさんの番組。
冒頭、

ASKA「こんばんは~」

と、いきなり関西弁のイントネーションで挨拶するASKAさん(笑)
シュウさんに、なんでいきなり関西弁になってるのと突っ込まれてましたねぇ。

シュウ「どうもー!関西出身のラジオDJ山本シュウさんも出ってきったよ♪」

って、とっても楽しげにおっしゃるもんだから、ASKAさん笑ってらっしゃるのですが、その笑い方がなんともかわいくてツボヽ(*´∀`)ノ
シュウさんに、突然「男らしいその胸板」とか言われちゃって、

A「なんで(笑)…見せたかって…」

ってなんだか笑いながらぶつぶつ(笑) ASKAさんとシュウさんはなんだか仲良しさんなんですねぇ( ´艸`)

アジアツアーが終わったばっかりで、新しい音源を持ってこられたというASKAさん。
活舌悪いASKAさんは、シュウさんに何度か、ちゃんと言ってください、って突っ込まれてましたねー(笑)

休みがあるのかと聞かれて、家にいる時が休みと言いつつ、でも実際は家にいる時は詞を書いてなきゃいけなので、何もしない本当の意味での休みはないんだとか。

A「3日とか4日とか与えられると困るよね。何していいかわからないよね。」

だそうで。 とはいえ、今年はマチュピチュに行かれたそうで、旅行は嫌い嫌いおっしゃってたけど、マチュピチュで人生観変わったとおっしゃってましたね♪
ライブでもたっぷりマチュピチュのお話してくださいましたもんね、MCで(*^-^*)

さて、ここで、ASKAさんの少年時代の夏休みといえば、何を思い出すか、という質問に。

A「セミ取り」

即答です(笑) セミ取りと言うと、会報でもありましたよねー、そういう写真!
木を蹴飛ばしてた写真を思い出します( ´艸`)

シ「うまかった?」
A「うまかったねぇ。」
シ「コツは?」
A「コツはねぇ、気を殺すこと。」

ASKAさんが一生懸命説明されてる感じが可愛いです(笑)
セミは「採るぞ、採るぞ」と思いながら忍び寄っても、よっぽどうまく早く採らないと採れないんだそうです。
なので、セミがいて、「セミだ!」と思っても、一度気持ちをセミから外してから、何気なくふっとやると採れるんだそうです。
セミがいる時に、セミだと思っちゃいけないんだそうです!!
力説するASKAさんにシュウさん大ウケ(笑)
これをやってるASKAさんを想像すると、なんだか( ´艸`)

一度、ブーンと飛んでるハエを箸でとったことがあるということもお話されてましたねぇ。
これも以前会報?ラジオ?か何かでお話されてましたよね?
メンバーもみんなびっくりしたとか。
そりゃそうですよねぇ(^-^;
その時ちょうど、山芋か何か食べてたからかなぁっておっしゃってました(笑)

大人になってからの夏休みについて聞かれると。
ASKAさんは外に出ないんだそうで。
シュウさん的には、アーティストと呼ばれる人は、ハリウッドスターのようにかっこいいリゾート地でのんびりしてそうなイメージだそうですが、完全否定なASKAさん。

A「そうですね…ジッとしてる。暑いだろう?夏。じっとしてなきゃ。動いちゃいけない。」

だそうです(^-^;

♪晴天を誉めるなら夕暮れを待て

ファンからのお便りについても話されてました。
ファンからのお手紙は、自分がやってることの確認になり、全部の曲に関わってくるんだとか。
お便り読んで、次はこういう曲作ってみようかなぁって、結構影響力があるんだそうです!

A「またバラードなんて聞いてみたいなって言われたら、その瞬間に、…バラードか…(辛そうにおしゃってる(^-^;))って迷うでしょ?だからホントは『~してほしいなぁ。』っていうのは聞きたくなかったりするわけ。」

ASKAさん素直すぎて(笑)
そんなに、ファンのお願いを聞かなきゃって思わなくていいのに、そういうのやらなきゃって思って、でも今作りたいの違うんだよなぁってなっちゃうわけですよね?
全部言っちゃうところがASKAさんらしくて好きです。

そして!

シ「応援してるメールやはがきばっかりだったらいいじゃないですか。たまにね?批判めいたものが来たとしたら、結構傷つきます?」

A「何がたまにだー?」

これには驚くシュウさん。
いやいや、私も驚きました。
しょっちゅうあるんだそうです、批判めいたもの(;'∀')
そういうときは、とりあえず笑うんだそうです(^-^;
顔はそのままで「はっはっはっは」と…。

常に批判にさらされるって辛いですよねぇ…。

って、素直にまた全部話してしまってから、

A「もう一つ、今、俺失敗したなぁって思ったんだ。これ言ってしまったために、『言ってみようかな』って思われた方がいたらどうしようかなと。」

思ったこと端から全部言っちゃうASKAさん(笑)
その後大丈夫だったかなぁ(;'∀')
でもシュウさん、そういうのはすべて愛ですよっておっしゃってましたね(*^-^*)
ASKAさんも、それは本当にそうっておっしゃってました。
愛のムチってやつですかねぇ(^-^;

それと、駅のホームとかで人に聞こえる内緒話はやめて欲しいとおっしゃってました(笑)

A「ぜーんぶ聞こえてるから、その内緒話。」

だそうです(笑)
皆さん気を付けましょう!
っていうか、そんなところで遭遇してみたいです。
私なんて絶対ないですもん、そんな偶然。


少年時代に音楽に目覚めた時のお話。
小さいときから歌が大好きだったというASKAさんは、小学生3年か4年の頃からほうきを持って歌ってたそうで(笑)
ギター代わりにってことですね( ´艸`)
この辺はもういろんなところで話されてることですが、高校3年生でギターを覚えて、3つコードを覚えたらもう曲作りを始めていたというお話。
当時はプロになりたいというよりも、それをやっていることが楽しかった、そして大学2年生の頃からポプコンに出ていたと。

ASKAさんのお父さんは自衛官で、当時ASKAさんも自衛官にという動きもあったそうで(笑)
ASKAさんは特に反発することなかったそうです。
そして、人前で歌うようになって、ポプコンで賞をとった時に、「ギルドのギターを買って来い」とお父さんがお金を渡してくれたエピソード。

この話好きだなぁ。

当時の自衛官のお給料だと大変だったと思うとASKAさん。
当時ASKAさんはギルドのギターが欲しくてバイトをされてたそうですが、

お父さん「いくらするんだ?いくら足りないんだ?これで買ってこい。」

とおっしゃったそうで。
そう言われた時に、ASKAさんは、ミュージシャンをやっていいってことなんだなと思ったそうで。
それが大学3年生の時。
なので、音楽をやるやらないという話を直接したことはないそうです。

お父さんはずっと剣道をされていて、前に2回ほど武道館まで来たことがあって、その時は何回戦かで負けてしまったけど、今年はマスターズで優勝されたとか!
以前からAKSAさんが8段をとることをすすめていたものの、8段はいいとおっしゃってたお父さんでしたが、このことがきっかけなのか来年8段を受けてみようかなとおっしゃっているそうです。
来年80歳になられるとか!
すごいなぁ。


あと3日したら29回目のデビュー記念日ですが、いかがですか?という質問に対して。

A「ただ歩いてるなって感じかな、今ね。」
A「思いがけぬ事をいっぱいやってきたなっていう…。 皆さんの気が付かないうちに…ちっちゃな…自分たちだけが喜べるような出来事っていうのは今の音楽界にちらばってたりするからね。 『これ、自分たちがやりだしたんだもんな。』っていうのがたくさんあったりとか。 形を残すことにこだわることはないんだけど、集まった時にその話で笑えるネタがあるっていうのは、それだけのものをいっぱいばらまいてきたなって気はするわけよ。」

これって、本や会報に書かれていることもあるでしょうし、私たちファンも知らないこともあるんだろうなぁ。
ファンとしてはその一つ一つ、知りたいなって思ってしまいますね。
そして、今(2019年)思えば、この頃、解散という文字が浮かんでいた時期でしょうから、切ない想いもあったのかなぁ…。


ソングライターとしてジャンルを超えて多くのシンガーに楽曲を提供しているが、ソロ活動はそのあたりから始まってるんですか?という質問に対して。

A「元々ソロなんで。常にヤツと言ってきたのは、元々ソロだからな、っていうね。頑張ろうって言って組んだバンドじゃないので。 ポプコンに出てみないかって言うところで一緒になったバンドなんで。それで賞をとれなかったのが悔しくて、もう1回チャゲ&飛鳥で出てみたっていう。」

常々おっしゃってることですね。
あの時、ポプコン受付締め切りだからダメとチャゲさんを受け入れてもらえなかったら、飛鳥さんがお手伝いを拒否してたら、もしチャゲさんがグランプリをとってたら。
その時はどうだったんだろう?と考えてしまいます。

そして、30代は死ぬほど働こうと思っていて、実際そうだったというお話もされてました。
ホントにすごかったですよね、30代のお二人。
30代になって楽曲の量産体制に入ってからは、面白いように1つの曲が次の曲につながっていったんだそうで。

煮詰まらなかった?という質問に。

A「僕は40代から50代かなぁ。煮詰まるって言うより、その年齢でリアルに歌える幅がなくなってきてる。」

これ、最近(現在2019年)ラジオでもおっしゃってたような気がしますね。

30代の時はいろんな歌を歌ったけど、40代になると、これってちょっと40代の男としては歌えないだろうっていうのが出てきたんだとか。
今ここで歌うのはわかったっぽい感じで誤解されるぞと思われたそうで。
でももしかしたら50代60代になったらもっと素直に書けるのかもしれないと。

誤解されるぞと思ったのはどんな曲なのかなぁ。
そして今はそういう曲もかけてるのかな。

提供曲ということで、今回お話に出されたのが中森明菜さんの予感でした。
シングル曲ではなかったのに、ベストアルバムにも入れてくださって、いろんなところで歌ってもらえたんだそうです。
当時、ギター1本で作ったんだとか。

♪予感

かかったのはASKAさんの予感でした。
1987年にソロデビューしたわけですが、ソロデビューすることについてはどうだったのかという質問に。
本当はデビューしてすぐにやりたかったけど、なかなか言い出せなかったそうで。
実際ソロデビューが決まる数年前にも、やりたいと言ったことはあったけど、メインボーカルとってるじゃないかと言われて、あえなく撃沈した経験もあるとか。
こういう楽曲を作りたいんだっていうのをはっきり出せてから、やっと周りが認めてくれて実現したそうです。

シ「相方さんはどうだったんですか?」
A「ヤツは先にやってたから、石川優子ちゃんと先にやってたから。ペンギンにつつかれて転んだりしてたから(笑)」
シ爆笑

そこですか(笑)
ASKAさんがそれを観てたところを見てみたいですね( ´艸`)
私はリアルタイムで知らないからなぁ…。

二度目のデビューということで気負いはなかったかという質問には、土台がCHAGE and ASKAというもので、そこが母体としてしっかりとあれば、どうなってもいいという意識があったので気負いはなかったそうで。
でも周りは危険だと思ったんじゃないかと(笑)
今は割とソロ活動って普通にあるけど、その頃はバンドからソロを出すってことは、もうそこに向かっていくっていう時だもんねとおっしゃってますが、「そこ」ってグループの解散ってことですかね?
ASKAさんは全くその気はなかったから、普通にやってましたと。



ここでリスナーから、「小説を読んでいるような気分になるこの曲が好き」というIDのリクエストが。
ここで曲作りについて。
ASKAさんは小説っぽさを意識して書くこともあるにはあるけど、それよりも絵で作って行くことのほうが多いと。
一つの光景をスパッと切って、ストップモーションになったところに何が詰まっているかっていうその瞬間のことを歌にするんだそうです。
例えば「僕はこの瞳で嘘をつく」もスパンと切った1枚の写真で、この瞬間にどう答えようかって、最後の一言を言う手前の瞬間を歌った歌なんだそうで。

こういうお話、いろんな曲で聞いてみたいなぁ♪


そして、相方さんとのお約束事、ありますか?という質問!

デビューして1年目くらいのときに、CHAGEさんが酔っぱらって部屋に入ってきたという有名なお話です(笑)
ASKAさんは寝ていたそうですが、夜中に来て、いろいろ話そうかと言うんで、わかった付き合おうかと。
いろいろしゃべったそうですが、内容がなかったとか(笑)
でもその時約束したことがあって。

A「何があっても、俺とお前がスタッフの前で喧嘩するのはやめようと、これは絶対守ろうと。 どんなことがあっても、『この野郎!』と思っても『このやろ』にしとこうと。 守ってきましたね、去年まではね。 去年は、去年は…ついにこう…初めてその時が来てしまいましたね。 それまで28年間僕らはスタッフの前でやったことはないですね。 スタッフがどっちについていいか困るでしょ? 二人しかいないからね。」

これ、リアルタイムで聞いたとき、びっくりしました。
この約束事の話は今までにもよく聞いていたので、とうとう喧嘩してしまったというのは結構衝撃で。
でも、笑って話せるくらいだから、もう解決したんだろうと思ってました。
でも実際はそうじゃないのかなぁ、最近(2019年6月)ASKAさんがブログでおっしゃってることも、この辺りから始まってることなのかなぁと感じてしまいます。

シ「夫婦みたいなもんですものね。全部わかってるでしょ?」
A「わかってるだけに、わからないこと言い出すと、どこを流れてきたかわかってるだけに。」
シ「言いたいことが言い合える」
A「でも言わない。最後にはいろんなことがあっても、相手がブロックしてるところを、暗証番号知ってるぞと思っても、そこはお互いいかないですね。 いるときはすまんけどっていって、誰も見てなかったら、ドカッとドア蹴って、開かなかったら両手でドア押し開けて、起きてるか、と。そんくらいやれればいいですね。」

このね、わからないこと言い出すと、どこを流れて来たかわかってる、って言うのがずっとひっかかってたんですよね。
ASKAさん的に、CHAGEさんの言ってることはCHAGEさん自身の言葉、考えじゃないように思うってことですよね?
しかも、「どこを流れて来たかわかってる」って、ASKAさん、わかってらっしゃるんですよね。
私は、ここの部分をずーっと考えてて、CHAGEさん自身の思いというよりは、スタッフさんか誰かに影響されてるのかなって思ったんですよ。
ASKAさんはそれが誰なのかわかってるけど、でも、そこをつつくことはしなかったってことなのかなぁ…。
そんくらいやれればいいですねって、でも実際できてない…、ASKAさんのブログ(2018年8月25日)に書いてあった2007年頃から自由に会えなくなってるっていうこもここに関係してるのかなぁ…。
今(2019年)聞くと、いろいろ、そうだったのか…と思えてしまう発言に聞こえて仕方ないです。
ただの憶測でしかないですけど、今までこれはなんのことを言ってるんだろうと思っていたことが、腑に落ちたというか。
10年経ってつながったというか(^-^;


こういうデュオの二人の関係の話、ゆずさんやスキマスイッチさんたちが聞きたがってたそうですね。
その後、お話する機会はあったのかなぁ?


そしてはじまりはいつも雨の誕生秘話。
これももうあちこちで語られてますもんねぇ。
2018年のシンフォでもお話されてました。
CMのための曲だったので、15秒あればよかったんだけど、作ってるうちにいい作品になるんじゃないかという気配があったので結局1曲作った。
メロディーだけの段階で、広告代理店に持って行ったら、当然サビを使われると思っていたのにBメロで。
さらに歌詞が入っても、やっぱりBメロを使うって。
普通ならばここはどうだろうと言いたいけど、テレビからの一瞬でつかまなきゃいけないから、そこのプロフェッショナルがここを使うっていうんだから、お任せしようと思ったそうで。
結果、CMで聴いて気に入ってCDを買ってくれた人が、全曲聴くとさらにそのあともっと良かったって言われて。
このことでいろんなことを受け入れていくようにもなったそうです。

この頃はまだC&Aの存在自体知らなかったからなぁ…。
歌番組はよくみてたのに、アイドルに夢中で、まったくもって目が行ってなかったと思われます(笑)

♪はじまりはいつも雨

名曲ができると歌う回数が増えていくと思うけど、だんだん飽きてくるということはないんですか?と聞かれてましたね。

似たような話、HEY!HEY!HEY!でもありませんでしたっけ(笑)
飽きてくるから歌い方変えるんですか?みたいな。
あの時も面白かったなぁ( ´艸`)

売れた曲というイメージが強いけど、ASKAさん曰く、ステージで歌うくらいで、そんなに歌った記憶がないんだそうで。
テレビではあんまり歌ってないってことですかね??
この頃のことは私は知らないのですが…。
ソロコンサートは当時やってなかったので、無理矢理C&Aのステージでソロコーナーをもらって、って(笑)
もちろん自分だけじゃなくCHAGEさんのソロコーナーもねって( ´艸`)
その後ソロコンサートをやり始めて歌えるようになったと。
「96年だっけ、ソロコンサート初めてやったの。」っておっしゃってましたが、97年ですよ、ASKAさん!って突っ込み入れちゃいましたよ(笑)
きっとこの番組聞いてたみなさん突っ込みましたよね(≧▽≦)


A「一番いやなのは、ヒット曲だからといって、お願いだから結婚式で歌わせるのはやめてくれと。結婚式なんてもう、あんなあがる世界はないわけで。」

これ、何度聞いても可愛いなぁと思ってしまう(笑)
あんなにたくさんのお客さんを前に、大きなステージの上で歌ってるASKAさんが、結婚式で緊張しちゃうのかーって( ´艸`)
距離が近いから苦手っておっしゃってますよねぇ。
ミッドタウンのビルボードライブ東京でのプレミアムライブでも、客席が近すぎて緊張するって、ネクタイの先っちょをくるっと丸めたりといじりながらそこばっかりみてしゃべってて、客席が近すぎてまともに見れないような感じで可愛かったんですよね(*´▽`*)
結婚式も、ライブみたいに客席が遠かったら大丈夫なのかなぁ(笑)

シュウさんもCHAGEさんASKAさんが参加された結婚式で司会をされたことがあったそうで。
お二人が歌ったそうで「歌うんやー!」とシュウさんびっくりされたそうです。



ここでロンドンの話。
10年目に行った時の話ですね。
ホントだったらブレイクしてて、一番活動しなきゃいけないときに、スパンとやめて、ロンドンに行ってしまったと。
なんでかわからないけど、その時向こうに行かないとダメな気がしてた。
この時期に行っておかないともう二度と行けなくなるんじゃないかという思いもあった。
普通、他の音楽事務所だったりすると、こんな大事な時期に活動をストップして海外に行きたいなんて話にならないけど、当時のマネージャーが、それだけ思いが固まってるなら何かあるんだろうと、行ったほうがいいと思うと行かせてくれたそうで、ありがたかったですねっておっしゃってますね。

当時のマネージャーさんってナベさん?

向こうに行ってすぐ、自分の楽曲の分析から始まって、毎日毎日やってたそうで。
3、4ヶ月くらい経ったら、CHAGEさんに連絡して、こっちでレコーディングしようぜって。

CHAGEさんもびっくりですよね、いきなり呼ばれちゃうわけですもんね(^-^;

いろんなきっかけができたから、行った意味があったと思われたそうです。


なぜロンドンだったのか。
世界紅白で、海外の会場の一つがロンドンで。
外国行きたさで行ってみようよってなったそうです(笑)

他にもロスやニューヨークも会場になってましたが、ロンドンを選ばなかったら違うところに行ってたのかなぁ?

何度か行った海外の中でも、飛行機が着陸する時、窓から見てて、この国住んでもいいかも、1回くらい住んでもいいかなって思ったのがロンドンだったそうです。
そのあとも他の国に行ったりはしてるけど、そんな感情になった国はなかったとか。

ロンドンについてからは、また不思議な縁の話があったわけですね。
けれど空は青 飛鳥涼論にも書かれてたと思います。
小学校の時からずっと一緒にだった近所のお姉さんとか、ポールマッカートニーの通訳さんのお友達の話とか、いろいろお話してくださってますね。


そして次の曲good timeについて。
ASKAさん自身の中での深さは結構大きいというこの曲。
いろんなこと含めて、その時期にしか出来なかった曲だそうです。

♪good time

ここでまた、リスナーからの質問。
女性の心を歌うときの曲作りについて聞かせてください。

若い頃は『ドアを閉めて、スカート履きながら作ってました。』とか言って逃げてたんだとか(笑)
シュウさん爆笑。
その若い頃、私は知らない時代だなぁ…。

A「今はそういうわけにいかないですからねぇ。今はもう完全下地から始めてます。」
シ「(笑)そんな話かよ!」

まだ逃げますかASKAさん(笑)
そんなことなくて、ここでしっかり説明してくださってましたね。


人間って言うところの痛い部分だとかが、大きくすそ野が広がってるだけの違い。
男でもそういうふうに思った人もいるだろうし、女性だって男性的とか…。
そのどこかにきっとヒットする。
例えばSaxでこんにちはって言ってみてって。
「ううううう」ってなるけど、それを聴いてる人は、こんにちはって聴こえる。
その意識があるから。
それと一緒で、人間の気持ちもその人の気持ちの中のどこかに触れた瞬間に、聞き手が全部そこに持っていってくれるから、 作る時には男女関係なく人の気持ちとしてのもの、そこに言葉が形となったものが、女性系か男性系かの違いで。
人間の訴えかけることは変わらないと思ってる。
そこは何も気にしてない。


Saxの例でなるほどーって思っちゃいました(笑)
だから人によって違う解釈も生まれるんでしょうね。


さらにリスナーからの質問。
もし80年代から90年代に戻れるとしたら、どんなことをしたいでしょうか。

ここでASKAさん、代々木体育館を初めて使わせていただいた時の初日の1曲目になってみたいって(笑)

これを生で体験された方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか。
そこに居合わせたかった!!

歌おうとしたらCHAGEさんのマイクが上にあがっていっちゃったんだそうです(笑)
何かにくっついたんだろうねって。
スタンドごとってこと?!
ちょっと想像できないんですけど、映像ないのかなぁ(笑)
このあたりの事、PRIDEの本にも書いてありましたっけ??

シ「そのあとどうフォローしたんですか?」
A「いや、ちゃんと歌いましたよ。僕は一人でかっこよく。」
シ「(笑)一人で歌って、CHAGEさんは?CHAGEさんは?」
A「いや、それはもうアイツは自分で自分の事考えなきゃねぇ(笑)人の事考えてられないですねぇ。」
シュウさん爆笑
A「いや、切り抜けたんじゃないかなアイツ。あっ、上で歌ってたっけ、一緒に。空中…(笑)そんなことない(笑)」
シ「でも多分CHAGEさんの深層心理の中では、このあと俺おいしいぞ、みたいな(笑)」
A「思ったでしょうね(笑)」

CHAGEさんのマイクってどうしてどこか行っちゃうんでしょうね(笑)
夜ヒットでもありませんでしたっけ。
可愛いなぁ( ´艸`)


アジアツアーで現地のオーケストラとシンフォニックコンサートをしたことについて。

シ「ある種無謀すぎるでしょ。」
A「いやぁ無謀でしょうね、無謀無謀、ホント。だけど、なんかね、やれると思ったんだよね。」
シ「えっ?やれるかもしれないですけど、それを聞いた周りのスタッフは度肝抜かれる話でしょ。」
A「うん、でもやれると思ったから。やれると思ったときの、やれる状態にまで持って行ってくれるっていうのは信じてるので。それはね、お互いの信頼関係だと思いますね。」

これ、本当にすごいよなぁ…。
本当に信頼関係ができてないと難しいですよね。
ASKAさんの無謀ともいえる発言に耳を傾けて実現させようと力を注いでくれるスタッフさん、すごい!!と思っちゃいます。

A「日本のコンサートのやってることのちょっと足伸ばしたそこに行けたよってぐらいの気持ちで海外でやれれば、ボーダーなくみんなやれるようになるでしょうね。 というのはね、物をリースするにしても、スタッフ側からすると、ここはできるけど、ここの国は無理だ、リースするものがない、と。 それはやらないからないんであって。 そこはね、どんどん広がっていくと、全然普通にやれるようになるので、全部がそうだなって気がするのね、今ね。」



スタッフさんにとって、本当に難しいことばかりだったんだろうけど、それについていくスタッフさんたちって本当にすごいなぁって。
今、たくさんのアーティストが海外でライブをやったりしてるけど、もしかしたら、C&Aのライブが貢献してる部分もあるのかなぁってちょっと思っちゃいました。


最後に、番組共通の質問だそうですが、ファンとともにキャリアを積み重ねて来たなぁと実感される瞬間は?という質問。

新しい曲が1曲できた時なんだそうです。
今から振り返っても、本当に感謝してると。
デビュー当時、その楽曲を聴いてすごく応援してくれた方たちがいて。
その方たちがいて、次のいろんな発見があって新しいアルバムができて。
そういうのがずっと続いてて、いろんなトライをさせてくれたことの感謝が次の新曲につながって。
ずっとつながってますよねって。
番組の最初のほうにもおっしゃってましたけど、常にファンの声に耳を傾けて来たASKAさんですから、それがずっとつながってるって素敵ですね(*^-^*)


最後に、出来立てほやほやのUNI-VERSE。

♪UNI-VERSE

UNI-VERSE、時間がかかったけど、作品ができたことの喜びがすごく大きいと。
ご自分で、楽曲が変わってきてる、作る楽しみ方がちょっと変わってきてるから、ともおっしゃってて。
やれることはやらなきゃねって、なんだかすごく意気込みを感じました。


最後に、今個人的に一番大切にしていることを教えてください。

A「存在だな。何があっても相手を認めるっていうことかな。 相手の事さえ認めてたら、どんなことがあっても相手をちゃんと認めてたらOKですよ話は。 認めないからトラブルが起きるわけであって。だからね、認めたとこから全部始まるなっていうね。」
シュウ「(笑)もうちょー嬉しいですよ、先輩。」
A「そう思うでしょ?プライドさえあれば別に。プライドを持って頭を下げることの、そこから生まれるものって大きいだろうね。」

最後もなぁ、なんだろう?
何かを訴えかけているように感じてしまって。
当時聞いたときも、なんのこと言ってるんだろう?と思ってしまいましたが。
何かの経験からなんでしょうね。


にしても、1時間半以上の放送、中身が濃くてすっごく楽しかったです。
シュウさんとは仲良しさんみたいで、会話もリラックスされてて良かったですよね♪